追伸

院長の写真

鍼灸・スポーツマッサージ・整体を始めた理由

高校時代、横浜商業高校(通称Y校)に入学し、硬式野球部に入り、甲子園を目指して野球に没頭していました。

子供の頃からの夢は「プロ野球選手になる」ことでしたが、名門高校で三年間野球をやってみると、自分の実力を知ることになり、将来、他の道を探していました。

野球部時代に私自身も、たび重なる怪我で満足にプレーができない日々が続いたことから、今後はスポーツ選手の体のケアをする仕事に就こうと思い、18歳で埼玉東洋医療専門学校(鍼灸科)に入学しました。

当時はまだ18歳で、鍼灸の専門学校もあまり多くなく、学校の先生や両親からは「大学に行ってからその先に専門学校へ行くか考えれば良いのでは?」と言われていましたが、私自身、「若いうちから一流の施術家になる」のが新たな目標だったため迷わず高卒で入学を決めました。

専門学校時代

現在、鍼灸師は国家資格のため、三年間たくさんの知識を学び、国家試験を受け合格しなければなりません。

在学中にはツボなどの東洋医学から、解剖学、生理学、リハビリテーション医学、関係法規など医者や看護師などが勉強する西洋医学の知識まで三年間、臨床に必要な知識をみっちりと学びました。

専門学校在学中に、学校の実技の授業だけでは、卒業後すぐに施術のできる技術は身につかないと考え、名人鍼灸師やスポーツマッサージの先生の元へ修業を行くことにしました。

師匠達との出会い

弘明堂治療院 坂井順資氏に師事(弟子入り)

初めて弘明堂治療院に訪れた時には、毎日いらっしゃるご来院者様の数に驚かされました。

約40人近くのお客様がいらっしゃっていて、肩こり、腰痛、膝痛などはもちろんのことパーキンソン病や癌などの難病、また病院では診断名のつかない体の不調までありとあらゆる症状のお客様がいらっしゃっていました。

坂井先生の施術法は、お客さんの体質や症状などによって鍼(はり)の太さや深さ本数をそれぞれ変えて行う「その方のみに適したオーダーメイド施術」でした。ですから、髪の毛の太さぐらい細い鍼(はり)をほんの数ミリしか刺さない人もいれば、太くて長い鍼(はり)を5,6センチ刺す時もあります。お客さんによって鍼の刺激量を変える技術は熟練した触診力(お客様の体に触れ様々な情報を得る力)が必要になります。

坂井先生は弟子の育成にとても熱心な先生で、数多くのお客様を触らせてくれる機会をいただいたことで、今日このような技術を習得することができました。

私の鍼施術は現在でも、お客様の体質や症状に合わせたオーダーメイド施術をメインに行っております。

モリタ治療院 森田雄一氏に師事(弟子入り)

弘明堂で鍼(はり)施術を修業する傍ら、スポーツ障害やスポーツマッサージの技術の向上も図りたいと思い、格闘技団体リングスの元トレーナー森田先生にスポーツマッサージの技術を教えていただきました。

森田先生のスポーツマッサージは、筋肉の疲れをほぐすのみではなく、ぎっくり腰やテニス肘、野球肩、椎間板ヘルニア、ねんざなどあらゆるスポーツ障害を手技のみで施術をおこなう方法でした。

森田先生は、スポーツ障害の施術でとても有名な名古屋の先生の一番弟子で、その先生から教わった技術を実践していました。

森田先生から教わった技術のおかげで、私の得意な症状は「スポーツ障害」と自信を持って答えられるようになりました。

西村治療院  西村太一氏に師事(弟子入り)

専門学校卒業後も坂井先生、森田先生の元にも引き続き修業に通っていましたが、坂井先生の紹介でスポーツ鍼灸を得意とする西村先生の元へも弟子入りしました。

施術院には箱根駅伝ランナーなど多くの現役スポーツ選手が通っていました。
西村先生の施術の中でも「運動鍼」という鍼(はり)を刺したまま関節や筋肉を動かす施術法はとても即効性があり、まさに目から鱗の施術法でした。

現在の私のスポーツ障害に対する施術法は、森田先生から教えていただいたスポーツマッサージと西村先生から教えていただいた鍼(はり)施術をメインにおこなっています。

弘明堂の坂井先生からいただいた素晴らしい言葉があり、今でも大切にしている言葉があります。

「土井君、君は施術家にとても向いている人格をしている。でもそれは君がすごいんじゃないよ。
君を育ててくれた両親や兄弟、友達や恩師の方々が土井亮介という人間を作ってくれたのだから、そうゆう人たちへの感謝の気持ちを忘れてはいけないよ

この言葉をいただいてから、今まで出会ったすべての人たちとの出会いを大切にしようと思いました。

また、お客様一人、一人との出会いも大切にしようと思っております。
言うまでもなく「施術家・土井亮介」を作ってくださったのはこの三人の師匠です。

私は三人の師匠に対し心から感謝の気持ちでいっぱいです。

就職活動!?

実は、私はこの業界に入ってから就職活動をしたことはありません。専門学校卒業後もまだまだ師匠達から学びたいことが多かったため午前中は施術技術の修業。午後は専門学校時代から働いていたスポーツクラブ内施術院での施術と親の友人などから往診施術を始めました。

師匠から、「自分のお客さんを持ち、自分で考え、自分で実践し、自分で悩み、自分で苦しみ、自分で改善に導いてあげないと施術の上達はない」と言われていたので、午前中に修業し、午後からは自分のお客様を施術する日々を送っていました。

しかし、施術技術というのは一朝一夕で身に着くものではなく、学校卒業直後は失敗の連続でした。(当時のお客様、本当に申し訳ありません)
一人の師匠からも厳しい一言を言われたこともあります。
「土井君の施術は5000円取ってるの?その価値ないよね」

元々体育会系で負けず嫌いなため、施術がうまくいかず、改善しないと悔しくて眠れないことも多々ありました。「もっと施術がうまくなりたい」毎日このことばかり考え、日々修業、日々施術の毎日を送っていました。

再び専門学校へ

私の免許は「鍼灸師」の免許であったため、せっかく高度なスポーツマッサージを森田先生から教えていただいたのに実践で使用できなければもったいないと思い、再び「あん摩・マッサージ・指圧師」の免許を取得するため「長生学園」専門学校へ入学しました。

私は、森田先生からスポーツマッサージの技術は学んでいたので、学校を選ぶ段階で、「あん摩・マッサージ・指圧師」の免許を取得できると同時に「長生医学」という背骨の矯正を中心とした整体術を教えてくれる学校を選びました。

長生学園に入学したのは「あん摩・マッサージ・指圧師」の免許の取得が第一の目的でしたが、長生の整体術はとても効果的で、今まで磨いてきた施術法にプラスすることでさらなる施術技術の向上につながりました

また、長生学園の学園長の「より医学部に近い授業を」という考え方から講師にいらっしゃる先生方は、有名大学病院の教授、名誉教授の方がずらりと並んだ講師陣でした。ですから他の専門学校の授業の内容よりかは少し難しい内容だったかもしれませんが、現役で活躍されている教授たちの講義はとても魅力的でした。

長生学園で学んだ「長生医学」という整体術、そして素晴らしい講師陣に教えていただいた授業は、「もっと施術技術を上げたい」と日々考えていた私にとってとてもマッチしていて、毎日充実した学生生活を送ることができ、卒業時には首席で卒業することができました。

午前中に専門学校へ行き、昼から深夜一時頃まで往診施術やスポーツクラブ内での施術をする日々を送っていました。

周りのみんなからは、「無理しないほうが良いよ」とよく言われましたが、高校時代の野球部での生活を考えれば高校卒業後の生活は辛いと感じたことが一度もありませんでした。

長生学園卒業後は、自宅開業兼往診施術と東急系列のスポーツクラブアトリオドゥーエ碑文谷の中にある施術院で施術をおこなっております。

現在は新たな技術を習得すべく全国からお客様が集まる中医師・翁猛進先生の施術院「翁鍼灸治療院」でも非常勤スタッフとして働いております。

これから目指すべき施術は?

20代は「もっと施術がうまくなりたい」と日々そのことばかりを考えて努力を積んできました。

現在は、その気持ちが形となって現れ、多くのお客様の期待に答えられるようになりました。

しかし、まだまだ施術の追及は続きます。(おそらく一生続くものと思われます。)
私は、この道に入ってから一つの目標を持って施術を行ってきました。それは

「人の人生を変える施術がしたい」ということです。

こう聞くと「何を生意気な・・・」と思う方はいるかもしれませんが、大それた意味ではなく、私の施術により皆様が抱えているお身体の痛みや不調が取り除け、人生がより楽しく進んでいくようお手伝いさせていただければ幸いと思っております。

皆様の人生がより楽しくなるようさらに技術を上げ精進してまいりたいと思います。

土井治療院